私が副社長を務める株式会社CINCでは、マーケティング調査ツール「Keywordmap」というSaaSを自社で企画から開発、販売、サポートまでを行っています。
2016年にリリースして以降、数多くのお客様にご契約・ご利用頂いております。
最近ではユーザー会へのお申込みも満席御礼の状態が続いており、今後ともツールの製品力からカスタマーサポート力までトータルに製品力を高め、皆様からご支持いただけるマーケティングツールになるよう全社一丸で本事業に取り組んで参ります。
昨今のSaaSニーズの高まりにより、多くのスタートアップや企業がSaaSビジネスに参入しており、様々な業界におけるSaaSがより盛り上がりを見せると思われます。
今回は弊社の実体験を通して得た「SaaS事業の始める時におさえておきたい点」の一部を説明したいと思います。
自社の強みを把握し、ブルーオーシャンを見つける
SaaSに関わらず事業や製品を計画する際、「自社・競合・顧客」の3Cを通して自社が参入できる領域を探します。
既存の他社サービスからヒントを得て企画した場合、知らず識らずのうちに自社も競合他社も参入できる領域に自ら足を踏み入れていた、という事になりがちです。
まさにレッドオーシャンに突き進んでしまい、激しい競争の中、開発力や資金力で殴り合う戦いを強いられてしまいます。
これを避けようと「他社が気づいていない領域で、自社の強みと顧客のニーズが重なり合う領域」を攻めようとするケースがありますが…
競合他社にとっても参入できる領域である事に変わりはないため、事業上の成功が知れ渡ると競合他社が参入し始め、また競争が勃発してしまうだけです。
最も大切なのは顧客のニーズに応えつつ、独自の強み(差別化)を出せる領域でサービス提供するのが望ましいでしょう。
そうなると、自社の強みの領域内で顧客のニーズを再発見したり新たにニーズを創造する事で、不必要な競争に巻き込まれず、自社独自の価値を提供できる領域を見つけられます。
3つの競争戦略から自社の参入戦略を考える
アメリカ経済学者のマイケル・ポーター氏が提唱した3つの競争戦略は、自社の競争戦略を考える上で活用できるフレームワークです。
差別化戦略
製品やサービスそのものの付加価値を高め、製品における特徴を明確にし、製品力で競合他社と戦う戦略の事。
Keywordmapの場合、日本語に於ける自然言語処理技術力の高さや、その技術力の高さから提供できるインサイト分析力の高さなどが挙げられます。
差別化は競争戦略で最も用いられる戦略であり、商品・サービスが溢れている今日においては最も重要な戦略とも言われており、「お客様がなぜ自社の商品を選ぶか」が差別化で生み出された「特徴」になると考えます。
コストリーダーシップ戦略
コスト競争力を高める事で、1製品あたりの費用をおさえ競合製品よりも安価に販売する「価格競争力」で勝負したり、競合他社と同じ価格で販売するものの、製品あたりの費用を抑えることで利益額を競合他社よりも高める事を目指す戦略です。
SaaSに於けるコストリーダーシップ戦略は主にサーバー費と開発人件費の最適化を指し、調達力や価格交渉力、オフショア運用力が問われてくる分野かと思われます。
差別化・コストの集中戦略
ターゲットとなる顧客や市場を予め詳細に定め、そのターゲットに対してのみ経営リソースを集中的に投下し、製品の差別化やコストリーダーシップを発揮する戦略です。
経営リソースが限られているスタートアップや新規事業では、如何にリソースを適切なターゲットに絞って投下し続けるかが事業の成功可否を握っており、多くのケースでこの集中戦略が採用されます。
集中戦略で事業成功する事で、対象市場自体は狭いものの、特定のビジネスや領域に於ける代表的なSaaSの地位を築き、その上で別領域や拡張する(横展開)、という流れを取る事が出来るようになります。
3つの基本戦略を「競争優位性」と「市場」の2軸でマトリックス図にしたのが上の図です。
Keywordmapをリリースした当時は、差別化集中戦略の領域に注力し、独自のコンセプトを技術力で具現化し、製品化しました。
当時の競合他社ツールの状況
当時、競合他社のマーケティング分析ツールでは日本語の解析精度に課題がありました。日本語の市場は英語と比較するとその市場規模は小さく、また日本語処理自体が特殊である為、海外製のツールはほとんど日本語の性能向上・改善に着手していませんでした。
当時、製品に求められていた最低限の要求と自社の強み
当時、ツールを利用する目的はコンテンツマーケティングのユーザー意図の分析であった為、文言から正確に意図を抽出し、分析できる性能が求められていました。
また、Keywordmapを開発する以前からコンサルティング業務でマーケティングビッグデータと自然言語処理技術でクライアントWebサイトの分析業務を行っていた為、既に自社にはビッグデータを高速に取り扱う技術と日本語における自然言語処理技術のノウハウがありました。
この状況から、日本語を高精度に解析し、マーケティング調査レベルに耐えうる解析精度を出す事を差別化集中戦略として置き、独自辞書の拡充から解析済みのデータをひと目でわかる形で表示する可視化技術に集中してSaaSを開発しました。
1人でMVP開発
コストの集中戦略に於いても予めの予算枠が無い中でスタートしたサービスであった為、コストを極限まで抑えた中でVer 1.0を開発し、リリースしました。
当時の開発はすべて私一人で行い、超がつくほどのMVP開発でお客様のご要望や改善を頂いた日にリリースするスピード感で開発していました。
これにより、お客様の声を高速に取り入れ、製品力を高めた事で、新規の顧客獲得が順調に進み、なおかつ低コストでスタートした事によりリリース時から黒字収益化に成功しています。
メンタルモデル・コンセプトの大切さ
お客様が当社SaaSを契約すると意思決定される際、そのSaaSに搭載されている直接的な機能のメリットではなく、SaaSを通して得られるであろう体験や価値に共感・賛同し、契約に至る事が多いと実感しています。
このSaaS製品を利用する事で得られる「体験」「価値」を決めるのが、SaaS設計時に計画するメンタルモデルと製品コンセプトになります。
メンタルモデル
メンタルモデルとは、当社が提唱する事やSaaS製品の根底にある考えを指します。
Keywordmapの場合、「なぜコンテンツマーケティングが手法の一つとして検討するべきなのか、何に気をつけ、どう計画・実行し、何をどう評価するべきなのか」というCINCが提唱するコンテンツマーケティング方法論がこのメンタルモデルに該当します。
「ユーザーニーズから記事構成案を作る方法」は当時私が書いた「コンテンツマーケティングを行う上で検索意図を考慮する重要性」を唱えたブログ記事です。この提唱がKeywordmapの根底にあるメンタルモデルであり、メンタルモデルの完成度でお客様の共感や賛同を得る事ができるか否かが決まってきます。
参考 記事構成案の作り方!Webライティングで必須のプロット作成法を解説Keywordmap ACADEMY
コンセプト
メンタルモデルを通して提唱したコンテンツマーケティング方法論をどういう形であるべきなのかを具体化したものが「コンセプト」になります。
コンセプト「データを駆使し、正確かつ瞬時に意図を把握する」
当時、「検索するユーザーの意図まで深く思考し、ユーザーが欲している情報を網羅する」という考え(メンタルモデル)がありました。
- どういう意図で顧客は検索し、情報を探しているか?
- どういう情報が、どのような形(フォーマット)で表現されていれば期待と合致するのか?
- その情報を得た後に、どのような行動につながるのか?
上記のような、「情報を取得しようとしたキッカケから→あるべき内容とその表現→その後の行動」までを予想し、コミュニケーションを設計する必要があると考えており、これを実現化する事をコンセプトの一つとしておいていました。
この意図分析をユーザーヒアリングで行っていては多くの時間を要します。そこでオープンデータを使ってビッグデータからインサイトや意図を解析する、というコンセプトにつなげました。
コンセプト「効率化して時短を実現する」
「深く意図まで掘り下げてコンテンツマーケティングを行う」は確からしく聞こえるものの、非常に時間がかかる為、実務レベルでは出来そうにないと感じ取られてしまいます。
Web担当者は様々な業務や役割を兼任しており、専任でコンテンツマーケティングを行っている担当者の方は稀有な状態でした。唱える事はいくら正しくても、実務レベルで実行出来なければ絵に描いた餅でしかありません。
そこで如何に工程をツールに置き換えて、時短に貢献できるかも製品コンセプトにしました。コンテンツマーケティングの業務の過程を自動化(機会化)し、人間でなくとも出来る業務はツールで行い時短する、というコンセプトで機能を設計しました。
コスト競争力の大切さ
Keywordmapが第2成長期に入り、多くのマーケティング調査ニーズに応えるべく、2019年10月に「SNS分析ツール」といった新しい市場へ参入しました。
同時にサービスの規模が拡大することによるサーバー台数も増加した結果、費用も右肩上がりの状態にあります。
継続的に研究開発や組織拡大の為の投資をする為には原価率を維持し、利益を確保し続ける事ができるコスト調整力が求められてきます。
自社の努力でコントロールが出来る費用は宣伝広告費とサーバー費ですが、宣伝広告費は抑制する事でビジネスの成長を押し下げてしまう可能性がありますが。これに対し、サーバー費は技術力や調達力で製品の品質を下げずに費用のみを下げる事ができる領域であり、収益性を高める為にもサーバー原価のコスト競争力を高める必要が出てきます。
クラウドか、それともオンプレミスか
サーバー費の抑制・圧縮という観点で良く議論されるのが「クラウドか、それとも自社サーバー(オンプレミス)か」という点です。
実際、Dropbox社はサーバーをクラウドのAWSから自社サーバーに切り替え、売上原価率を34ポイントも改善する事に成功しています。
参考 AWSを捨てて復活、ドロップボックスが上場へ日経クロステック
もちろん、サーバーの切り替えは社運をかけるくらい大きなプロジェクトであり、簡単には出来ません。また自社サーバーに切り替える場合、サーバーの実機を購入したり、物理的なデータセンターを借りたりと初期投資額が非常に大きいのも企業にとって大きな負担です。
上の図はクラウドサーバー(IaaS)のメリットとデメリットの一部を並べたものです。
クラウドのメリットはやはり従量課金制で自由に拡張・縮小できる利便性にあります。最近ではDBサーバーや仮想環境そのものがサービス化したPaaSも充実しており、SaaS企業はクラウドサービスを利用することでインフラを気にせず、自社サービスの開発のみに集中でき、商品力の向上に努める事ができます。
しかしながら、サーバー実機を購入する訳ではない為、物理資産が積み重ならない点はデメリットとして挙げる事ができるでしょう。
上のグラフはクラウドサーバーと自社サーバー(オンプレミス)のコストイメージです。
クラウドの場合、月に決まった基本費用+変動する従量課金(CPUバーストやストレージなど)がサーバー費としてかかってきます。メンテナンスする工数も少ないため、工数(人件費)も最小限に抑えることができます。
自社(オンプレミス)の場合、初期に実機のサーバー購入費がかかり、また専任のインフラエンジニアによる管理も必要になる為、運用にも一定の費用を要します。
上の図はあくまでもイメージではありますが、クラウドとオンプレの損益のイメージです。
低コストで開発で行い、なおかつリリース早々から利益も出ている場合は、むしろクラウドで構築したほうが利益は多く取れる計算になります。
また、自社サーバーやデータセンターを構築する事に工数を投下するより、機能開発など顧客のニーズをさらに満たす事に投資・投下するほうが中長期的にも良い経営判断といえます。
ここで取り上げているケースは、コスト調整力が始めからあり、なおかつ売上が好調なケースを想定しています。実際はここまで単純かつ簡単ではありません。むしろサービスの規模が大きかったり、購入したサーバーを使い続ける事でむしろオンプレミスの方が圧倒的に低コストなるケースがあります。
大量のデータを扱うサービスは状況が異なる
しかしながら、大量のコンピューティングリソースを要するようなサービスの場合は状況が異なります。
Dropbox社やAhrefs社など大量のデータ・ファイルを扱い、なおかつ検索で大量の計算リソースを必要とする場合、膨大なサーバーを必要とします。
上のツイートはAhrefs社の社長であるGerasimenko氏のツイートで、「Ahrefsは重点的にハードウェアに投資をしています」と言及しています。
クラウドサービスがこれまで以上に充実している現在、オンプレミスを選択するのは限られたリソースしか無いベンチャー企業にとって不合理な選択の様に見えますが、中長期的にサーバー実機を運用する社内リソースと技術力があり、なおかつ資金力がある場合は、中長期的な視点で見た際、あえてオンプレミスを採用するケースもあります。
DeNA社の「オンプレミスか、クラウドか?」事例
Google Cloud Platformへの全面移行に成功したDeNA社もこの点で様々な議論があり、最終的にクラウドへ移行するという経営意思決定がなされたようです。
参考 【ノーカット掲載】オンプレミスかクラウドか。社内を二分する論争にDeNA南場智子が出した”答え”フルスイング
記事によると、既に社内で持つコスト競争力を謳うオンプレミス派と、運用が多様化・煩雑化している事を鑑みて一気にクラウドに移行するのが望ましいと謳うクラウド派で議論が別れていたようです。
この経営意思決定でDeNAの南場さんはクラウドへ移行する事に決めたようです。その決定打となるのが何に集中するかだったと言います。
経営者にとって何が決定打となったかというと、“人材”です。CTOの小林が言いました。「我々の優秀なエンジニアをもっともっと創造的な仕事にフォーカスさせたいんだ」と
データセンターまで自前で抱える事で、その運用に多くの人的資産を投下しなければなりません。サービスを提供する会社として最も集中するべき事は、社内の有限な人的資産を最も重要なサービス開発に投下する事であり、選択と集中の点からもメインではないサーバー運用を外部に出す、つまるクラウド化する事を決定したとの事でした。
以上の様に、「選択と集中」という経営判断の点からも、本当にオンプレミスの方が全体最適の視点から最良の選択肢と言えるのか否か、という点まで考慮し、判断していく必要があると言えます。
クラウドでも出来るコスト競争力
「クラウド=高コスト体質」という事ではありません。
現在、各クラウドサービス会社は長期的な契約と引き換えにサーバー費用を割引する契約形態も用意しており、これら契約を利活用する事で、クラウドでもサーバー費を抑えることが可能です。
直近では、AWS社が柔軟かつ大幅な割引を受けられるSaving Planの提供も開始しました。
参考 最新情報 – AWS コンピューティングサービスの Savings PlansAWS
Saving Planの登場により、以前のリザーブドインスタンス契約よりも柔軟な支払いを選択できる様になり、手前のキャッシュフローが潤沢ではないスタートアップにとっても資金力に左右されにくいコスト抑制ができるようになりました。
契約形態以外にも、インスタンスサイズの見直しやサーバーの統合、1マシンリソースあたりの処理能力ポテンシャルの最大活用など技術的にもクラウドのサーバー費を抑制することが可能です。
最後に
このブログで取り上げたSaaSビジネスで抑えるべき点は、あくまでもごく一部です。
この他にも「ザ・モデル」に代表されるような営業やマーケティング、カスタマーサポートの体制構築から次期商品開発に向けた研究開発など、SaaS事業を継続的に維持・成長させる為に抑えなければならない点は多数存在します。
更に、昨今のSaaSへの需要拡大に伴い、日を追うことに参入する競合他社数は増え、競争が激化しつつあります。
この競争激化しつつある業界の中で、いかに自社の強みを発揮し、揺るがないポジションを築き、お客様からの支持を受け続ける為には、サービスを設計するプロダクト企画から開発、営業、マーケティング、カスタマーサポートなど様々な組織が互いに連携し、組織力を高めていく必要があります。
様々なプロフェッショナルがいる組織
当社ソリューション事業本部では「0→1、1→10」を乗り越え、「10→100」への事業ステージに差し掛かっています。
現在では多くのお客様からご支持をいただくようになり、それに伴いお客様へのサポートやユーザー会の実施などカスタマーサポート・サクセスもKeywordmapのサービスの一つとして非常に重要になってきました。
よくSaaSと聞くと「ソフトウェアのプロダクト」を商品としてイメージされるかと思います。しかし実際にご契約・ご継続いただくお客様の多くは、単に製品機能の良し悪しだけではなく、その過程の提案やサポートなど付加価値ベースのサービスも含めて製品の価値として捉えられています。
いくら製品が優れていてもお客様の実業務で使いこなせなければ、製品で得られる体験価値をお客様は感じる事は出来ません。「メンタルモデル・コンセプト」のパートでもお伝えしたように、SaaSで最も大切なのは製品を通して得られた体験価値であり、その価値を最後までフォローアップし、定着化させるまでをKeywordmapサービスとして考えています。
企画から開発、マーケティング、セールス、カスタマーサポートなど1つのサービスを創るにも多くのプロフェッショナルが関わり、協力しています。
各領域は非常に専門性が問われ、日々変化するマーケティング事情とお客様の要望に準速に対応していく事が求められます。